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村山聖プロフィール

印刷用ページを表示する掲載日:2019年2月1日更新 <外部リンク>

プロフィール

昭和44年6月15日
広島大学付属病院で、 父村山伸一さん、母トミ子さんの二男として生まれる
3500グラムの大きな赤ちゃんだった

昭和49年6月
広島市民病院での診察で「ネフローゼ」と判明。5か月間の入院生活となる

昭和51年4月
町立府中小学校へ入学。しかし5月には再び入院、院内学級に転校する。この頃、父に将棋を教わる

昭和52年3月
いったん府中小学校に戻るが、4月小学2年生の時に広島大学付属病院の紹介で国立原診療所に入る

昭和54年
小学4年生の頃、腕を磨くために広島将棋センター通いが始まる

昭和56年3月
小学6年生時、第6回小学生名人戦に出場。その後、府中中学校に入学

昭和57年7月
広島将棋センターで紹介された、森信雄四段(当時)に弟子入りし、奨励会試験を受ける。試験では好成績を上げるものの、諸事情によって入会が見送られる

昭和58年
中学2年の春、大阪の森四段のアパートに住み込み、その年の奨励会試験に合格、五級で森信雄四段門下となる

昭和61年11月
四段昇段

昭和63年4月
五段昇段

平成元年9月
第12回「若獅子戦」準優勝

平成2年10月
第13回「若獅子戦」優勝

平成3年10月
勝ち星規程により、六段昇段

平成4年12月
B級2組昇給後、第42期「王将戦」でプレーオフで羽生王座・棋王、米長九段を連破し、タイトル戦初挑戦を決める。谷川浩司王将に4連敗で敗れる

平成5年3月
第51期順位戦で9勝1敗の成績。B級1級昇級。七段昇段

平成6年6月
第7期「竜王戦」で2組優勝。1組昇級

平成7年1月
住友病院に入院

平成7年3月
第53期順位戦で9勝2敗の成績。A級昇級

平成7年4月
八段昇段。この年から東京で生活をはじめるが、体調面の不安から9年2月広島に戻る。

平成8年7月
通算300勝達成

平成8年12月
第46期「王将戦」プレーオフで谷川九段に敗れる

平成9年3月
第55期順位戦は3勝6敗。B級1組に降級

平成9年4月
広島大学付属病院に検査入院。癌と診断される

平成10年3月
第56期順位戦で9勝3敗の成績を上げ、A級復帰を果たす
次期1年間の休養を決める

平成10年5月
広島市民病院に入院

平成10年8月8日
進行性膀胱癌のため現役のまま死去。翌日九段を追贈される

平成11年4月
第26回「将棋大賞」特別賞

(引用:村山伸一作「村山聖 自筆原稿」より)

1983(昭和58)年 中学2年生で奨励会試験に合格
昭和58年
中学2年生で奨励会試験に合格

1992(平成4)年 大阪にて
平成4年
大阪にて

1993(平成5)年 第42期王将戦で、谷川王将に挑戦
平成5年
第42期王将戦で、谷川王将に挑戦

1996(平成8)年12月 第17回JT将棋日本シリーズ 決勝戦
平成8年12月
第17回JT将棋日本シリーズ 決勝戦

1998(平成10)年 NHK杯優勝戦
平成10年 NHK杯優勝戦

(写真提供 村山家・中国新聞社 )  

村山聖九段のご両親へのインタビュー

どんなお子さんでしたか?

なんでも一生懸命にする子で、度が過ぎるので、親がとめていました。
親は、病気にさせたという思いから、聖がしたいという事をさせてやりました。それで伸びたのだと思います。
また、本が好きでたくさんの本を読んでいました。アニメや少女マンガも好きでした。

将棋の大会では、勝つことが薬と思って頑張っていましたが、親には、勝った、負けたを言わず、表情にもださない子でした。
性格は、優しく、人と争うことが嫌いでした。後輩をよくかわいがっていました。
今年の11月には、聖の映画も上映されるので、みなさんにも見ていただきたいです。

村山聖杯怪童戦に寄せる思いは?

聖は、大変子どもが好きでした。
子どもたちが、聖の志を引き継いで将棋で戦っている姿は、本当に輝いています。
毎年、それを楽しみに会場で応援しています。

村山聖さんのご両親
村山聖さんのご両親 トミ子さんと伸一さん

村山聖将棋怪童戦実行委員会より

 難病と闘いながらプロ棋士としてスピード出世して、羽生さんとも互角にわたりあい、その風貌から「怪童」と呼ばれた村山聖さん。その精神をくみ、子どもたちが将棋のみならず、さまざまな分野で、志をもって育っていくきっかけとなることを願っています。