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田所明神社(たどころみょうじんしゃ)

更新日:2019年2月1日更新 印刷ページ表示

田所明神社 飽速玉命を主祭神に七柱の神を守護神として祀っています。
 大正5年(1916年)に国庁神社(厳島遥拝所)、槻瀬明神、大黒社を合祀して、田所明神社として現在地に建立されました。

 田所氏は奈良時代以前の安芸国造であった飽速玉命の出自(姓佐伯氏)と伝えられ、佐伯氏は国司制度が確立してからは佐伯郡司に任命され、また厳島明神・芸州国府八幡祭祀のときは国府泰幣使代も務めたといいます。
 平安時代の初め頃田所氏(田所氏は姓を佐伯のほか三宅、石井とも称し、平安期の職名「田所」を本姓としたと伝える)は五日市から府中に移り、以後国府の在庁官人として安芸国の政治を掌るとともに、厳島神社の厳島国府上卿として祭主も務めました。
 今の石井城跡の地に広大な屋敷を有し延久4年(1072年)に国庁神社を建立、朝夕長官をはじめ約40人の所従が厳島の方向に向かって礼拝していたといいます。

 元禄3年(1690年)に現在の地に移り(芸州厳島絵図に明神殿は厳島遥拝所と記されています)、現在の社殿は平成10年(1998年)再建されました。

 明神祭、秋季例大祭をはじめ月次祭などが執り行われています。(資料提供;田所明神社 田所恒之輔氏)

 

  • 国造 古代の世襲の地方官。ほぼ一郡を領し、大化の改新以後は多く郡司となりました。
  • 奉幣使 勅命によって幣帛(神に奉納するものの総称)を山稜、神官、神社に奉納する使者。
  • 上卿 祭列に列席する者のうち、最上級の公卿。
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