出張城を拠城とした白井氏の家臣が中世の城の尾首の地に居住し、生活用水として使用したといわれる湧水です。
尾首の名称には二説あって、一つは中世山城の攻守の地形から「城の尾首」と呼称した説と、もう一つは大内・毛利軍との戦いで敗れ自刃した出張城主白井房胤の首を池で洗って葬ったともいわれそこから「首洗いの池」とも呼ばれるようになったという説です。
なお近世初期の寺の過去帖や古記録には最初から「尾首」で書かれています。
この池に繁茂している植物は、清流によく見られるコケ類の一種で、和名ヒツジゴケ種名イリヒュームと名付けられているもので、低地の湧水池に群生していることは珍しいそうです。