千代山に築かれた白井賢胤の拠城跡です。出張城の支城的役割を果たしていたものと推測されています。
芸藩通志〔文政12年(1829年)〕の府中村絵図に「千代山・古城跡」と記されています。
天文年間(1532~1554年)大内、毛利両軍の攻撃により出張城主白井氏が没落した後も一族の白井万五郎が一時居城し、のちに毛利氏に降ったといいます。
以前は鹿籠山と陸続きであったもののJR山陽本線の敷設によって分断されました。昭和初期には廓と見られる平坦地や、中腹には稲荷社が祀られていましたが、現在は住宅や工場が建ち並び城跡としての面影はありません。