鎌倉時代末から南北朝時代初期にかけての、田所氏の一族石井氏の拠城跡と伝えられ、現在城郭らしい遺構は明瞭には残っていないものの、城山の頂部に石井七郎末忠の碑が建立されています。
末忠は元弘3年(1333年)後醍醐天皇の綸旨を受けて伯耆船上山(鳥取県赤碕町)に馳せ転戦しましたが、延元元年(1336年)摂津湊川(兵庫県神戸市)の戦いで足利尊氏の軍勢と戦い、楠木正成とともに戦死したといわれています。
周辺には城山北・南端貝塚(出土品 下の写真左)や石井城貝塚(出土品 下の写真右)など古代から中世のものと思われる小規模な貝塚が点在し、中世の土器片も出土しています。(府中町歴史民俗資料館収蔵)