目の前に多家神社と長福寺の森が広がる標高34.5メートルの独立丘です。
室町時代の中ごろ応永年間(1394~1428年)に安芸守護武田氏に従って下総国(現千葉県)から西下してきた白井加賀守胤時が初代城主となった城跡で、以後170年間に渡って府中を中心に領内を治めたと伝えられています。
中世の史料では府城、国府城、芸府城などと記されており、現宮の町一丁目と同三丁目の境の古山陽道沿いを出張市と呼んでいたことから、出張城は近世の字名からとったものと思われています。
大正時代(1912年~1926年)には、馬場、門の跡が残っていたといわれますが、開墾等(古城具、墓石、人骨等が掘り起こされたという)により、今は城跡は本丸の跡を中心に数段地が残っているだけです。
白井加賀守親胤の名が刻まれている石碑が残っています。
白井氏系図記事に、「寛永3年(1462年)白井親胤府中出張城に拠り、武田元信に属す」とあります。