令和3年3月26日、下岡田官衙遺跡(しもおかだかんがいせき)が国史跡(国の歴史を知る上で重要な遺跡)に指定されました。この遺跡は、古代山陽道の交通史研究においても学史的な意義が大きく、山陽道沿線の官衙遺跡の展開を知る上で重要な遺跡とされています。
下岡田官衙遺跡からは、瓦葺礎石建物(かわらぶきそせきたてもの)2棟が確認されており、奈良時代(8世紀中頃)に国によって設置された「安芸駅家(あきのうまや」である可能性が極めて高い遺跡です。「瓦葺礎石建物」は大きな礎石の上に柱を据えた瓦葺の本格的な建物で、2棟はL字上に配置され、古代山陽道沿いに面して作られています。
「駅家」は、都と地方を結ぶ駅路沿いに設置され、公務で旅行する役人などに移動のための馬や食事、宿泊場所を提供する「人馬中継施設」としての役割を担っていました。
●所在地 府中町石井城二丁目
●指定面積 3599.84平方メートル
●史跡指定日 令和3年3月26日
●現在の状況 民有地(畑・駐車場)
<遺跡の位置>
<現在の遺跡の様子>
昭和30年代から、計11回にわたって発掘調査を実施。安芸国分寺(東広島市)など、同時期に国家が整備した施設と同じ特徴をもつ瓦、県北部の地名「高田郡」や物資の名前などが記された木簡などが出土しています。遺跡からの出土品を歴史民俗資料館で展示しています。
写真左 :重圏文軒丸瓦
写真中央・右:木簡
【古代山陽道】
奈良時代、国家により古代山陽道をはじめ都から当時の七つの地方を結ぶ道路が整備されました。この道を、七道駅路(しちどうえきろ)といいます。七道の中で都と九州の大宰府を結ぶ古代山陽道は唯一の大路(おおじ)とされ、中央からの情報伝達面と物流面において、重要な役割を担いました。
【官衙(かんが)・駅家(うまや)】
官衙は、この時期に国が設置した行政施設の総称で、国の施設である国府(国衙)、郡の役所である郡家(郡衙)、駅路沿いに置かれた駅家などがあります。
次のとおりご協力をお願いします。
◆ 遺跡の所在地は民有地(畑・駐車場)です。指定区域内への立ち入りはご遠慮ください。
◆ 遺跡に専用駐車場はありません。また、市街地にある遺跡のため、周辺への配慮をお願いします。