平安時代の建立と思われ、後代の記録では大己貴命(大国主命)など53座の神々を祀っていたと伝えており、田所文書にも多くの免田が記載されています。
総社は、国府の所在地にあり、国中の神社の神霊を合祀して、国司が職務として国内諸社を巡拝する代わりに奉粛していた神社です。
府中北部の氏神社として春祭、秋祭、流鏑馬などでにぎわったのですが、安芸郡の地に造営されながら長くその所在がわからなくなっていた「多家神」をめぐって松崎八幡の氏子との争いが絶えず、明治7年(1874年)松崎八幡とともに廃社とされ、多家神社に合祀されました。
現在跡地は公園として整備され、石碑が残っています。
また、公園内にはコミュニティセンター総社会館が平成3年に建設されています。