鹿籠山(鍛治山)の南西に位置し、この付近は中世、こごもり湾と府中湾に臨む要衝の地であったと思われており、大永7年(1527年)大内義興方の野田兵部小輔合戦注文に「仁保嶋ならびに国府城詰口において・・・」の記載があります。
出張城主白井氏の支城ないしは物見詰所だったのではないかとされています。
芸州府中荘誌には「空が城」と記載されているのですが、礎石、遺構などの確認はされていません。
現在、この地は多目的広場や野外ステージ等を備えた都市型総合公園、空城山公園とし整備されています。
空城貝塚出土品
南端部の鵜崎に近い山麓に未発掘の4か所の貝塚が散在しており、ハマグリやアサリなどの貝層が厚さ30センチ、幅3メートルにわたって見られます。また、土師質土器片、中世の土器片が採取されています。
このほか多くの貝塚が町内に点在していますが、いずれも小規模または壊滅状態のものです。