この湧水は水分峡を源とし、近くには総社跡や国庁屋敷(田所屋敷)跡などがあり、神聖な水として神饌に供えられ、また近隣住民の生活用水としても昔から使われていたという。 たびたびの水害で埋没したこともあったが、その都度地区の人たちの手で掘り返され、湧水としてよみがえったという。 「大己豊前諸書附写」に、安政6年(1859年)芸州藩主浅野茂長が長福寺、道隆寺に参詣し、出井、今出川にも立ち寄った、という記録がみえる。 現在は民家の一角にある。